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おしらせ

新しいくまのて①きっかけ

5月31日に当院は14周年を迎えます。

常に新しいくまのてを目指していたわけなのですが、開院をしたきっかけや接骨院を目指したきっかけが、ようやく一区切りし、それを新しいくまのてとして15年目を迎えることが出来そうです。

孔子の言葉に、
子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず。

という言葉があります。

人が何かを達するには、それなりの時間がかかります。
そして達するには、志やそれを始めたきっかけが重要です。

皆さん周りの成功に惑わされてはいませんか。
初めから足が速い人もいれば、段々と足が速くなる人もいます。
スポーツ選手と比べてはいけませんが、彼らが活躍するにも、20年以上のキャリアがあるケースがほとんどです。
10代で活躍しているアスリートもいますが、その後停滞しているアスリートは多いです。

最近でいえば、
TSMCを創業したモリス・チャンは創業時、56歳です。
しかも創業から順風満帆ではなく、ビジョンを実現するには、そこからかなり年月を要しています。

私も、高校3年時に進路を決め、もうかれこれ20年以上が経過し、人生の半分以上は治療に費やしていることになります。

私は成功という言葉自体はあまり好きではないのですが、一体成功とはなんでしょうか?

人よりたくさんお金を得ることが成功でしょうか。
仮に、経営の才能があって、私腹を肥やすことが出来てもそれは成功でしょうか。

私腹を肥やすことを目標にしていれば、それは成功と言えるかもしれませんが、私腹が肥えた後の行動は、とても人(世間)からみて好ましいものではなく、厭らしさがあります。
(私腹を肥やすことを目標にしてはいけないという意味ではありません。次の目標を見失うことに問題があります。)

人は因果の中で生きているので、それを目指した因(きっかけ)はとても大切に思います。
現在が果であれば、だれかが目指し生じた因により、実現されたのが今の世の中です。

人が何かを始めるきっかけには、何かしらの信念(ミッション)があり、望んでいる世界があり、その望んでいる世界が現実的になれば、それが成功と言えるのではないでしょうか。

私が接骨院を目指したきっかけは、ケガをし接骨院にかかり、選手からサポートケアする立場になり、ケガや痛みなく競技を全うしてもらいたいと思ったことが、接骨院の始まりの因(きっかけ)です。

青葉台接骨院開院ちらし

開院時のチラシなのですが、今見ても何とも、若干の恥ずかしさもあるのですが、経営を無視し信念(ミッション)や思いだけを記したこのチラシが、今ではとても感慨深いのです。そこから思い通りに行かない自分の非力さを感じ、その信念だけはぶれることなく技術力だけを求めてきた14年間だったと言えます。

  • 100人いたら100人治すつもりで治療します。
  • 1日でも早く治るようにサポートします。
  • プロ意識をもって治療に取り組みます。
  • 身体だけでなく、心も体も楽になれる接骨院を作っていきます。

言葉の使い方は若さがあり、今なら違う言葉を用いると思いますが、私の成功は?と問われれば、当院の成功はきっかけとなったこれ以外にはないわけです。まず、ここを達しなければ次に進むことが出来ず、途中で信念を変え、価値を下げるようなお金儲けのためのサービスや美容などの経営手法に移行し、人より多くのお金を得ることが出来たとしても、それは私の成功とはかけ離れたものになります。

そして、15年目にして、ようやく開院時のミッションがより鮮明にビジュアル化でき、新たな原動力(行動のエネルギー)を生むためには新たなミッションを作成し、新しいくまのてとして動き始める必要があります。

  • エネルギーの原則は、動きが生じるきっかけが必要です。
  • 実現できていないミッションが行動するエネルギーを生みます。
  • ミッションが鮮明になれば原動力は失われるため新たなミッションが必要です。

自然治癒力も同様で、癒しのエネルギーを生むには、治癒が促進されるきっかけが必要です。それが意識であり、原因となる部位を意識することで自然治癒が促進されます。それを当院ではヒーリングとして、新しいくまのての礎になります。

また新たなミッションをビジュアル化するために、次の15年後に向けて新しいくまのてを目指していきます。

追伸コラム①
人生は長い道のりで、人と比べると劣等感が生まれるのは当たり前です。
私も誰かと比べると、劣等感が生じるため、あまり見ないようにしています。
答えは自分の中にしかなく、強制的な使命(ミッション)を与えられたとしても、強制力は自然の原則に反するので、いずれ停滞します。(すべての物事は共通するので、強制的な治療は、いずれ停滞します。)
ミッションっていうのは、与えられるものではなく、自分で思考し考えるものです。
言葉は、自分を束縛し視野を狭くします。
専門的に物事を考えているうちには、それは偏見が生じている段階です。
創造的に物事を考えられるようになった段階で、偏見はなくなり、視野が広がります。
そのため、専門的な技術や知識では、人の痛みは治すことが出来ません。
人の痛みを治すには、創造的に原因を捉え、施術する必要があります。

  • この記事を書いた人

熊谷 卓眞(kumagai takuma)

【柔道整復師 熊谷 卓眞(kumagai takuma)】熊谷の手で施術するくまのて接骨院

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