スポーツの目的は一体何でしょうか?
そのことを考えたことはありますか。
スポーツなどの競技には、元々優劣に差があり、不公平といえます。
感覚的・体格的にも恵まれている場合に有利に働くことは言うまでありません。
そのため、スポーツは人と比較して優劣を競い合うものではないことが分かります。
まずはそのことを知り、スポーツの概念を理解できれば、成長し健康的な肉体と精神を手に入れることが出来ます。
もちろん競技力が向上し、勝つ喜びを知ることも出来ます。
残念ながら皆が同様に努力すれば、プロになり活躍できるということはありません。
そもそも、スポーツの本来の目的は健康増進や自己の成長であり、他人に勝つことではありません。
プロになり活躍したいという目標をもつことが悪いわけではなく、本来の目的外の目標を強いることに問題があります。
根本的な概念を理解していない場合に、スポーツの本来目的を見失ってしまいます。
スポーツ本来の目的(健康増進・自己成長)に沿わなくて何が問題なのか。
勝つために、成長し、それが社会に繋がっていると主張する方もいると思います。
これは、すべてのスポーツにおいて大いに問題があるのですが、これを論理的に主張できる人はあまりいません。
❌他人に勝つためにやる
🔵自己の成長のためにやる
スポーツをやれば、本来なら誰もが成長することが出来ますが、成長する喜びよりも勝つことに喜びを見出せばどのようなことが起こりますか?
陸上競技なら頂点はその種目で一人ですから、それ以外の人は世界の2番目でも喜びを見出せず劣等感を生じるわけですか?
それとも、自己の成長のために頑張り続けた結果世界の2番目になれたのであれば、自己の成長に喜びを見出せるはずです。
勝利至上主義であれば100人いれば99人が負けるわけです。
しかし、自己の成長を目的に行っていれば、100人全員が自己成長しているわけです。
この差はとても大きいです。
大げさですが、
上記の99人は強制的に勝つことを強いられているので、肉体的にも精神的にもボロボロなことに気付きません。
下記の100人は、自己の目標のために自然に自発的に行っているため、肉体的にも精神的にも自己管理をしっかり行います。
自然の原則では、強制力はいずれ停滞するので、始まりを間違えてしまうと、それが原因となり結果はみえています。
結果は努力だけでは実りません。
自然に結果が付いてくると、
- 成長する喜びを知る
- 肯定感が身につく
- 自信がつく
- 健康になる
- 社会貢献できる
逆に、不自然な状態に陥ると
- ケガに繋がる
- 生涯に渡り不調を伴う
- 後遺症が残る
- 精神的なうつ状態
- 社会に属せない
スポーツの目的は、健康増進と自己の成長であり、社会的に健康な肉体や精神思考を持つことに価値があります。
逆に言えば、自分の価値を高めるためにスポーツをやっていると言えます。
自分には価値があるわけです。
では、その価値を害するような過度な運動は健康状態を悪化させ、自分の価値が損なわれることを理解してください。
過度な運動は、自分の知覚や感覚を無視し続けた結果生じます。
身体の痛みは異常な信号で、不自然な状態です。
痛みは知覚や感覚を伴うものなので、その自然な反応を無視し続けた結果、価値が損なわれます。
不自然な状態を無視し続ければ、もちろんケガに繋がり競技力は低下します。
自分には価値があるということを知っていれば、強制的な指導をされた場合にも、自分の価値を守ることが出来ます。
追伸コラム②
私は中高とバスケをしていました。
中学の時はびっくりするほど体力がなく、自信なくバスケをやっていて、もちろん試合にも出たくない消極的な子だったと思います。
それでも、中学3年になるころには、周りから『うまくなったな』と言われることは嬉しかったことを思い出します。
もちろん、それはその人よりうまくなったわけではありません。
高校になり、体力も付き身体が出来上がり、消極的だった自分が、なんだか変わったように自信が付き始めたのは高2の終わりだった事を思い出します。
周りからも今度は『変わったな』と言われると、悪い気はしなく誇らしかったことを思い出します。
そうして今があるわけですが、もし、周りからいつまで経っても『へたくそ』だとか否定され続けていたらと考えるだけでも、ゾッとします。