癒しのエネルギー(自然治癒力)を促進させるには、専門性より創造性が必要であり、それは専門性を否定するわけではありません。
専門家になればなるほど、みえてるものがみえなくなります。
それを盲点や錯覚とも言います。
部分をみれば全体がみえなくなり、全体を見れば部分がみえなくなります。
もし、あなたが優秀な農家であれば、土をみれば、木が育つかどうかわかります。
それは、頭の中で木が育つことを、創造的に捉えみることが出来ます。
(ドラえもんの世界なら、その土で木が育つか目で見てわかる道具を出してくれるかもしれません。)
もし、あなたが土の専門家であれば、土の成分や性質をアルカリ性やら酸性やら土壌細菌やら根粒菌やら調べます。
そして、専門的に、土の成分の結果、理論的にはこの土が最も木が育つことが分析の結果わかりました。
でも、農家からすれば、土を触って、見て、嗅げば、なんとなく感覚的に育つがどうかわかります。
それに見合った対処を行い、木を育てることが出来ます。
専門家よりも農家の方が木を上手に育てることが出来るのは、専門家と農家では見えてるものが違うということです。
そして、農家に専門的な知識があれば、よりビジュアルが鮮明になり上手に育てることできるはずです。
身体の世界に話を移しますと、
医により、多くのことが分析され、体の内部のことはより鮮明にわかってきました。
たとえ、鮮明にわかったとしても、痛みをとるのは、専門家ではなく、施術家です。
(専門的に局所的なことが詳細に分かってきても、痛みはみえてるものが全てではなく、全体的な影響が局所に与える影響を考える必要があります。)
施術家のスペシャリストであれば、農家と同様、見て、触って、聞いて(視診、触診、問診)、痛みを創造的に把握することが出来ます。
それは、全体をみて育つかわかる農家と同じです。
最も基本的(問診、触診、視診)な作業が痛みの問題を捉えるために必要が作業で、いくら専門的に詳細に局所のことが分かったとしても、痛みは局所の問題と全体の問題を捉える必要があります。
自然的な癒し(自然治癒力)を促進させなければ、治るものも治すことは出来ません。
一時的に強制力が働き、痛みを感じなくなるかもしれませんが、それはいずれ持続力が失われます。
コンセプト⑤共同作業