あなたの身体の”治癒力”は、あなた自身の「脳」だった
第1章で、私たちはストレッチの本当の目的が、筋肉の「質」を高め、『弾力性』を取り戻すことだとお話ししました。そして、そのカギを握るのが、ストレッチによって生じる「痛み」である、と。
では、なぜ「痛み」がそれほどまでに重要なのでしょうか。 その答えは、私たちの身体の治癒プロセスが、脳の『覚』という働きによってコントロールされているからです。
この覚=「覚える」働きには、治癒に欠かせない2つのプロセスがあります。
- 🧠 感覚(感じること): 身体を動かしたり、触れたりした時に生じる「痛い」「硬い」「動きにくい」といった、身体からの生の信号そのものです。
- 💡 知覚(気づくこと): その「感覚」という信号を脳が受け取り、「ここに問題がある」「ここを治すべきだ」と意味のある情報として認識し、意識することです。

あなたの身体を知るためには、この「感覚」と「知覚」という働きが不可欠であり、その司令塔こそが「脳」なのです。 しかし、この最高の司令塔も、時として身体に対しても厄介な『錯覚』を起こします。そして、その錯覚こそが、治癒を停滞させる一番の要因なのです。
「忘れてしまう脳」と「痛み」の重要な関係
なぜ、脳は錯覚を起こしてしまうのでしょうか。身近な例で考えてみましょう。

頭をぶつけて、たんこぶが出来たとします。打った直後はズキズキと痛みますが、しばらくするとその痛みは消えてしまいますね。しかし、たんこぶを指でそっと触ってみると、まだ確かな痛みが残っています。 この「触って痛い」という感覚こそが、脳に「ああ、ここはまだ治っていなかったんだ」と知覚させる、唯一のサインなのです。触らなければ、脳はその問題を忘れかけていたかもしれません。
ケガをした身体もこれと同じです。 ケガをすると、身体はまず応急処置として、その部分に血液やリンパ液を集めて「むくみ」を起こします。これは正常な修復反応です。(このむくみによって、錯覚を起こしているともいえます。) しかし脳は、表面的な痛みが消えると「修復工事は完了した」と錯覚し、根本的な問題を放置してしまうことがあります。まるで、建物の見た目だけをなんとか取り繕った、突貫工事のように。
ストレッチによる「痛み」は、まさにこの忘れ去られた工事現場を、脳にもう一度思い出させるための、重要な点検作業なのです。

専門家でさえ、自分の知識に固執すると、大事なものを見落とします。バスケットボールのパスを数えることに集中すると、画面を横切るゴリラに気づけない、という有名な心理実験(気になる方は「ゴリラ、バスケ、錯覚」などで検索してみてください)があるように。 情報が溢れる現代だからこそ、あなたの身体から発せられる原始的で正直な「感覚」こそが、最も信頼できる情報源なのです。
ですから、大切なのは、頭で「こうあるべきだ」と理解しようとすることではありません。ただ自分の感覚を信じ、その正直な声を脳に届けること。それが治癒への最も確かな道筋です。
たとえ病院で「肉離れです」と診断されたとしても、本当に重要なのは、その痛みがどのような性質のものなのかを、診断名で理解するのではなく、あなた自身の身体で「感じて覚える」ことです。

「肉離れだから湿布をしましょう」という一般的な対処法は、まさに脳を騙す行為に他なりません。湿布は痛みを感じにくくさせますが、その部位に「むくみ」や「癒着」という新たな問題を生み出し、脳に「もう治った」という危険な錯覚を起こさせます。 その結果、根本的な問題が放置され、さらに重大なケガへと繋がっていくのです。
「弾力性」を失う本当の原因。あなたの身体で起きていること
では、脳が忘れてしまう「根本原因」とは、具体的に何なのでしょうか。 それが、「むくみ」と「癒着」です。
- 💧 むくみ(浮腫)の正体
- 筋トレや日々の負荷で筋肉の繊維が微細に傷つくと、身体はそれを修復するために、その部分に体液を集めます。これが「むくみ」の正体です。しかし、このむくみが適切にコントロールされずに放置されると、筋肉は水っぽくブヨブヨとした、力の入らない「使えない筋肉」へと変化してしまいます。
- 🕸️ 癒着の正体
- 肉離れなどの少し大きなケガをした際に、損傷した組織が正常に修復されず、周りの皮膚や筋肉とくっついてしまう現象です。これが、動きの悪さや痛みの再発に繋がります。
あなた自身の身体にも、このようなサインはありませんか?
- 「ストレッチをした時に、皮膚がパンッと張るような、つっぱる感覚」
- 「股関節を曲げた時の、脚の付け根の詰まる感じ」
- 「正座をした時の、膝の裏が窮屈な感じ」
これらは全て、その部分にコントロールされていない「むくみ」や「癒着」が存在するサインかもしれません。 動かした時の突っ張りや、ストレッチによる痛み。それらの「感覚」を通じて、脳に「ここに癒着やむくみがある」と気づかせること。その対話こそが、余分な筋肉のふくらみをなくし、弾力性に満ちた自然な動きを取り戻すための、唯一の方法なのです。

圧痛などの押したり触ったりすると痛みを感じる部位も、そのような身体の細かな滞りがあるサインといえます。ただ、細かな滞りは大きな問題を起こすことはありませんが、塵も積もれば山となるように、小さな問題が多く重なることで、大きな問題へと繋がっていくのです。
身体の再起動!エネルギー(ATP)が織りなす回復のサイクル
「痛み」によって脳が異常を知覚すると、身体の中では素晴らしい回復のサイクルが再起動します。
- 💥 破壊から再生へ
- まず、正しいストレッチによって生じた「痛み」が、脳の修復スイッチをONにします。
- ⚡ エネルギー(ATP)の供給
- 修復作業には、たくさんのエネルギーが必要です。そのエネルギー通貨の役割を担うのが「ATP(アデノシン三リン酸)」。このATPが豊富に供給されることで、細胞の活動が活発になります。
- 🧹 修復チーム「マクロファージ」の活躍
- エネルギーを得た細胞たちは、修復現場に優秀な作業員「マクロファージ」を送り込みます。マクロファージは、古くなった組織や壊れた細胞を綺麗に掃除(貪食)し、新しい組織を作るための土台を整えます。
- 弾力性の回復
- そして、新しい組織の材料となるのが「コラーゲン」です。ATPによって活性化した細胞は、このコラーゲンの生成を促し、筋肉や皮膚は、本来のしなやかな「弾力性」を取り戻していくのです。
「弾力性」と「自律神経」。心と身体が繋がる仕組み
そして、この話は身体だけの問題では終わりません。 そもそも、筋肉がこわばり、ケガをしやすい状態になる根本原因の一つに、「自律神経の乱れ」があります。
【そもそも】あなたの「自律神経の乱れ」とは、どのような状態か?
「自律神経の乱れ=ストレス」という認識が強いと思いますが、その前に、自律神経が精神的なシステムではなく、物理的なシステムであることを知る必要があります。

自律神経は、お風呂の蛇口のように、「冷たい水(交感神経:興奮・活動)」と「温かいお湯(副交感神経:リラックス・回復)」を絶妙にコントロールして、私たちの身体のコンディションを常に一定に保っています。(自律神経の作用は大変複雑なので、自律神経について改めて、自律神経編を作りたいとおもっています。自律神経関連はインスタで主に投稿していますので、是非フォローしてください。)
しかし、もし身体の歪みや血行不良によって、「冷たい水」の蛇口が物理的に壊れ、機能が低下してしまったらどうでしょう。 身体は、熱くなりすぎたお湯を、「温かいお湯」の量を無理やり調整するだけで何とかしようとするため、異常な発汗や動悸など、全体のバランスが大きく乱れてしまいます。これが、「自律神経の乱れ」の正体です。
では、なぜ「弾力性の回復」が自律神経を助けるのか?

この関係は、一方通行ではありません。 正しいストレッチによって筋肉の「弾力性」が回復すると、組織が柔らかくなり、血流が改善します。 すると、これまで物理的に圧迫されていた神経の働きがスムーズになり、結果として壊れかけた蛇口が修理され、自律神経のバランスが整うのを助けるという、素晴らしい好循環が生まれるのです。
弾力性の回復は、身体だけでなく、心をも健やかな状態へと導いてくれるのです。
まとめ:あなたの身体は、いつでも生まれ変われる
この章で、あなたの身体が持つ、驚くほど精巧で素晴らしい回復のメカニズムをご理解いただけたでしょうか。
「痛み」を通じて脳と正しく対話し、身体の異常を「知覚」し、細胞レベルの回復サイクルを回していく。 この理論を理解した今、あなたはもう、巷の不確かな情報に惑わされることはありません。
理論の土台は、固まりました。 しかし、その上で、世の中に溢れる「静的ストレッチ」「動的ストレッチ」といった常識をどう捉えればいいのでしょうか。 さあ、次の章では、この理論を元に、巷のストレッチの『常識』を科学的に解き明かし、あなたの知識を本物へと昇華させていきましょう。
[→続きを読む:【第3章】ストレッチの「常識」を科学する]
