コストには、「ある価格である」「特定の時間や労働を要求する」「費用を払う」という意味でも使用されます。コストには値段だけではなく、時間、期間など、そこに費やす間もコストに値するのが特徴です。元々コストには、「価値、価格という」意味があり、昔はお金がなかった時代もありますから、「そのものを譲ってくれるにはそれに見合ったコスト(時間)を提供する」や「それをやってくれるならそれに値するコスト(別の価値)を支払う」といった具合に使われていたのではないかと想像できます。
そのためコストは価値を得るために必要なもので、それに見合った対価を支払うので、同等の価値があります。バリュー(価値)とコスト(価値)はとても面白い関係にあります。
経営していれば、労働してもらうために、コスト(お金)を支払うわけですが、バリューとコストは等価なわけで、経営者は、労働者に対して支払うコスト(お金)は無駄ではないことがわかります。労働者もそれに見合ったコスト(時間)を提供しているので、コストにはいろいろな意味が含まれることがわかります。
しかし、現代では、お金の価値が上がり時間の価値が損なわれているように思います。
本来なら経営者側はコスト(お金)を抑えたい。労働者側は提供するコスト(時間)を抑えたい。そうすれば、コスト以上に双方に価値(バリュー)を得るチャンスが得られるわけです。
そうすれば、
経営者は、より多くのお金の価値を得ることが出来ます。
労働者は、より多くの時間の価値を得ることが出来ます。
そうすると、
経営者側は、「それに見合った価値を提供してくれれば、それに見合ったコスト(お金)を支払う」といいます。
労働者側は、「私は、人より2倍の労働力があるため、短い時間でそれに見合ったコストを支払ってほしい」と求めることが出来ます。
現代では、見合った価値を提供することが出来れば、それに見合ったコストを支払い価値を得ることが出来ます。価値はお金だけではないことが重要です。
現代はお金病を患っている人が多いですから、お金にしか価値がないと思っていると病気になります。(価値には、大きく心理的な価値や精神的な価値や肉体的な価値などあります。価値についてはまた別の機会に説明いたします)
接骨院で例えると、バリュー(お金)を得るために、コスト(時間、期間)を費やし、多くのことを学び、提供できる価値を上げることで、患者さんからコスト(お金、時間、期間)を頂き、価値(施術)を提供しバリュー(お金)を得ることが出来ます。
提供する価値は接骨院により異なり、今まで費やしてきたコストがその接骨院の価値を作ることになります。(ここでもコストと価値は等価だということがわかります)患者さんはその価値を得るために、コストを費やしてくれます。
それに見合った価値を提供することになるので、接骨院の価値の多くは、無形(モノではない)なので、提供する価値は、時間や手段(施術)となります。患者さんもそれに見合ったコストを支払うことになるので、この場合にコストは時間とお金になります。コストとバリューの関係では支払うコストが多いほど、それに見合った価値を提供してもらうことが出来ます。
何が言いたいかといいますと、
コストにはお金だけではなく、時間や期間もあり、価値(バリュー)には、今までの費やしてきた時間や期間手段または情報や知識も価値になります。当院はその価値を最大限まで提供して、コストに見合った施術を行いますので、コスト(時間、期間、お金)を費やして頂ければ、健康に繋がるというまた別の価値まで得ることが出来ます。未病を予防し未来の健康に繋がる価値にもなるので、そこに費やすコストは、一概に支払ったコスト(価値)と比較することは困難です。しかし、コストを支払わなければ何の価値も得ることが出来ません。
コストに見合った価値は等価と言いましたが、それは、交換の際のことで、実際にはコストを支払って得られる価値は、生涯に渡り無限に得ること出来ます。
見合った価値に対して支払ったコスト(お金)だけで考えると、とても物差しが狭いです。大きな物差しをもって、生涯得られる価値まで考えて、コストを費やすことが出来れば、当院の施術はそれ以上の価値を得ることが出来ます。コストはその期間費やしたお金や時間だけでなく、価値を得るためにコストを費やすものなので、当院をうまく利用して頂ければ、誰もがコスト以上に価値を得ることが出来る思います。
追記
お金にものすごい価値があるのなら、価値があるものほど、お金も高いことになります。であれば、平和には価値があるはずなのに、お金で平和は解決できないどころから、お金のせいで平和が崩されているように感じませんか。